○昭和52年の夏、青山学院大学4年だった宮本佳代子さんに東京赤坂のレストランで、見合いをした8月25日の翌日、小泉は、プロポーズする。あってわずかの2日目である。

 ○昭和52年8月26日早速二人でデート。日比谷映画で「わしは舞い降りた」と見た後、小泉は「あのう、僕を信頼してくれますか?」。彼女はとっさに、どう答えていいかわからぬまま「ええ」と一言。小泉は、「それで決まりましたね」。

 <その4年後>

 4年後、結婚は破綻。佳代子さんが、さんざん家庭内暴力を小泉から受け出て行くと決めたあとに、小泉が佳代子に最後にかけた言葉は、「君子去るものは追わず、来るものは拒まずだな」の一言だった。佳代子の親族は、「総理になった純一郎さんを見ていると、あの人は、表の顔と、裏の顔がかけ離れた二重人格じゃないかとおもわざるをえません」。小泉氏は離婚後、女性に暴力を振るわないようにカウンセリングをうけていたとされる。佳代子さん自身も夜の営みの時に首をしめられていた。