垂氏は1985年入省のチャイナスクールで外地勤務は北京、香港、台北だけと中華三昧。批判の絶えないチャイナスクールの中では火中の栗を拾うことをいとわぬキャリアらしからぬキャリアと評判は高い

(中略)

「小泉政権の日中関係悪化後に戦略的互恵関係を打ち出した中国課長。戦略的な思考を持つ優秀な外交官ではある。しかし本領は大胆な情報収集活動。中国との間で大きな摩擦を起こしてきた」

 2008年、垂氏の中国課長就任直前に人民日報傘下の環球時報はスパイを中国課長に就任させるのか、と非難した。非公開裁判で国家機密漏洩に問われ、終身刑となった漢方医が垂氏に中南海の国家指導者連絡先を漏洩していたというのだ。また垂氏は、中国公使在任中の13年には失跡事件を起こし、3カ月後に東京に戻っていたことが明らかになる。

中国からスパイ嫌疑かけられる人物を起用・・・・攻めに攻めた人事異動