日本政府による取り締まり

1881年10月には釜山で「貸座敷並ニ芸娼妓営業規則」が定められ、元山でも「娼妓類似営業の取締」が行われた[14]。翌1882年には釜山領事が「貸座敷及び芸娼妓に関する布達」が発布され、貸座敷業者と芸娼妓には課税され、芸娼妓には営業鑑札 (営業許可証) の取得を義務づけた[14]。1885年には京城領事館達「売淫取締規則」が出され、ソウルでの売春業は禁止された[22]。しかし、日清戦争後には料理店での芸妓雇用が公認 (営業許可制) され[22]、1902年には釜山と仁川、1903年に元山、1904年にソウル、1905年に鎮南浦で遊廓が形成された[14]。

日露戦争の勝利によって日本が朝鮮を保護国として以降はさらに日本の売春業者が増加した[22]。ソウル城内双林洞には新町遊廓が作られ、これは財源ともなった[14][22]。