運平・青女

燕山君は、妓生を「泰平を運んでくる」という意味で「運平 (うんぴょん)」と改称させ、全国から美女であれば人妻であれ妾であれ強奪し、「運上」させるよう命じた[19]。全国から未婚の処女を「青女」と呼んで選上させたり、各郡の8歳から12歳の美少女を集め、淫したとも記録され、『李朝実録』では「王色を漁す区別なし」と記している[19]。
妓生と外交
燕山君の時代などでは王が女淫に耽ったため、臣下も風俗紊乱であった[19]。川村湊はこの時代を「畜妾、畜妓は当たり前のことであり、妓生の、妓生による、妓生のための政治というべきもの」で、朝鮮は「妓生政治・妓生外交」を行っていたと評した[15]。