妓生の身分
七賤

高麗・李朝時代の身分制度では、支配階級の両班、その下に中庶階級 (中人・吏属)、平民階級があり、その下に賤民階級としての七賤と奴婢があった[20]。林鍾国によれば、七賤とは商人・船夫・獄卒・逓夫・僧侶・白丁・巫俗のことをいい、これらは身分的に奴隷ではなかったのに対して、奴婢は主人の財産として隷属するものであったから、七賤には及ばない身分であった[20]。
奴婢

奴婢はさらに公賤と私賤があり、私賤は伝来婢、買婢、祖伝婢の三種があり、下人を指した[21]。奴婢は売買・略奪の対象であるだけでなく、借金の担保であり、贈り物としても譲与された[21]。従母法では、奴婢の子は奴婢であり、したがってまた主人の財産であり、自由に売買された[21]。そのため、一度奴婢に落ちたら、代々その身分から離脱できなかった[21]。
官卑としての妓生

朝鮮時代の妓生の多くは官妓だったが、身分は賤民・官卑であった[11][22]。朝鮮末期には妓生、内人 (宮女)、官奴婢、吏族、駅卒、牢令 (獄卒)、有罪の逃亡者は「七般公賤」と呼ばれていた[10]。