要するに、習近平は、自らが被害を受けた文化大革命を、自分の権力を守ろうと繰り返そうとしているのだ。恐るべきエゴイストであり、カリスマ性のない毛沢東そのものだ。

結局のところ、習主席が憧れている毛沢東も、自らの求心力のなさによって周りを恐れ弾圧していったのだから2人はよく似ている。