中国政府は独立運動には厳しい反面、「アメとムチ」の懐柔策でデモ封じ込めを図っている。例えば2008年のチベット動乱で暴動を防げなかった責任で、ジアンパ・ピンツオ主席は辞職し、その後継を元々「農奴」と呼ばれるチベットの最も低い階級に属していたチベット自治区東部出身のジアンパ・ピンツオを就任させた[70]。その動乱後に被害を受けたラサの住民を対象に、生活補助の支給や医療費の免除を実施し、僧侶らによる数百人規模のデモが2度発生した青海省黄南チベット族自治州では中心部の同仁県にあるチベット仏教寺院「隆務寺」に8日午後、製めん用の小麦を大量に積んだ5トントラックが到着した[71]。

中国は1989年から1994年にかけ、5500万元と大量の金や銀など貴重な物資を投じてポタラ宮の大規模な補修を行った。また中央人民政府は3億元余りを投じ、チベットの1400余りの寺院の修復、開放を支援した[72]。

中国は、チベット地区のGDPは2010年度に500.8億元(約600.8億円)に達し、年間成長率が12.4%.農民と牧民の納税後の年間収入が2005年度の2倍にあたる4,319元となったと主張している[73]が、中国がチベット自治区に2001年以降に投資した総額は3100億元にのぼる[74]。しかしこれらの投資は主に中国からの漢民族移民の為に使われ、チベット人に対してではなく、チベットにある企業の大部分の経営者は漢民族で占められ、雇用は不公平極まりないとチベット側は反論している[75]。経済学者アンドリュー・フィッシャーも中国によるチベット経済政策について、チベット族を疎外したものと分析している[76]。