武蔵野台地の中央に位置する住宅都市。江戸時代に玉川上水の開通により近郊農村として開拓が進み、整然と計画された短冊形の地割となっている。戦後は、都心部のベッドタウンとして人口が急激に増加し、ブリヂストンや日立など工場も進出した。18年には人口が19万人を突破。市内には大学6校があり、1万人超が通学する文教都市でもある。