昭和32年に釈放されて帰国した人達の一部が中帰連を創立して、反戦平和運動や日中友好運動を展開するようになります。
昭和57年頃から、中帰連による活動が目立つようになってきます。昭和57年と言えば、高校教科書誤報問題が起こった年であり、この頃から中帰連の活動が活発になったのは単なる偶然ではなく、日本を貶めようという勢力と連動していたと推測