これ以前の1951年に、サンフランシスコ平和条約にて、日本は、千島列島と南樺太に対する全ての権利・権限・請求権を放棄。

ソ連は、この条約に署名しなかったため、条約当事国とならなかった。そのため、戦争状態の終了、外交関係の回復等を定めて、日ソ間で執り行われたのが日ソ共同宣言。

ここでは平和条約締結後に、日本に引き渡される島は、歯舞・色丹の2島のみであった。