【石破茂の勘違い】北方領土「2島返還」「2島+α」「4島一括返還」時系列で追ってみた!
これ以前の1951年に、サンフランシスコ平和条約にて、日本は、千島列島と南樺太に対する全ての権利・権限・請求権を放棄。 ソ連は、この条約に署名しなかったため、条約当事国とならなかった。そのため、戦争状態の終了、外交関係の回復等を定めて、日ソ間で執り行われたのが日ソ共同宣言。 ここでは平和条約締結後に、日本に引き渡される島は、歯舞・色丹の2島のみであった。
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石破茂は、日ソ共同宣言 安倍晋三首相がロシアとの北方領土交渉をめぐり事実上「2島先行返還」に進もうとした場面において、「小さな領土を一つでも失うと、やがて領土を全て失う」とし、4島返還の原則から後退しないよう訴えた。 「2島返還」「2島+α(プラスアルファ)」「4島一括返還」の議論は、何が前進で、何が後退なのだろうか?時系列で追ってみると、石破の勘違いポイントが見えてきた。