明治39年(1906年)、四つの村、平針村・植田村・弥富村(中根を除いた地域、現在の昭和区の一部を含む)・島野村から現在の天白区の前身である天白村が誕生しました。

 「天白」という名称は、この地を北東から南西に貫流する「天白川」からとって名づけられました。天白川という名称は、下流の流域に天白社が祀られていたことによります。

 緑区鳴海町に「字天白」という小字名があり、昔の東海道の天白橋のすぐ東の土地です。そこに天白社があったといわれています。天白社には天白神が祀られており、中部地方を中心に全国で122の天白社があります。

 この天白神が祀られている場所は、大きな川の下流や海岸が多いため、河川の暴流を防いで田畑を守る神であり、街道を行く旅人を怒涛から守る神でもあったといわれています。

(愛知県郷土資料刊行会「天白区の歴史」より)