日常生活でも苦労しました。レストランでご飯食べる時も言葉が理解出来ないし、友達が出来ても会話が出来ないし最初の1年は地獄のような生活でした。正直言うと1週間で日本に帰りたかったです、父に毎晩電話してもう日本に帰りたいと話しましたが、父と母は猛反対でした。「自分が決めた道なんだからプロになるまで日本には帰れない。日本に帰ってきたいなら自分で帰りのチケットを稼いで戻ってきなさい、誰もお前の事は助けてくれない」と言われ電話を切られました。当時は16歳でお金も持っていなかったので、先が真っ暗でしたが、でも後から聞いた話だと母は凄く心配していて泣いていたようです。半年間サンパウロFCで練習生としてテストを受け、ようやく実力が認められて合格できたんです。でもその時は自分の実力より、当時お世話になった代理人のマネージメントが良かったからかもしれません。やはりサンパウロFCは世界でも有名なクラブですし、なかなか試合にも出れませんでした。18歳でプロ契約を結ぶ事が出来て、代理人と相談をして試合経験を積む為にレンタル移籍でブラジル国内の色々なプロチームで5年間プレーさせて頂きました。