遊女(売春婦の前身)が登場。

遊女といっても江戸時代の遊郭のように廓内に閉じ込められ自由が無く、逃げ出せない、早死にといったような暗いものではなく、歌や舞を披露しおまけに性も売るという女性などが多くいたようで、自由勝手に貴族達の宴にいきなり集団で押しかけて歌を歌い金銭を貰ったり、売春をして貴族の身にまとっている着物をその場で貰ったりと、当時の遊女はかなり自由な振る舞いが出来たそうである(いきなり宴会に現れて歌を歌い股を広げて男を誘う女とは凄い女達である)。

平安中ごろには、白昼ふらふらと売春に出歩くものを「遊女」、夜になってから売春するものを「夜発」といっていたようです。その後、やがて遊女も夜発も同じ売春婦として認識されるようになり、このころ男性には快楽を求める趣向が強まる傾向にあり、各地に娼婦の集まる館ができていた。 白拍子などと呼ばれ、舞などをしながら性を売る女性で、姫などとも呼ばれたようです。