古代から時はずいぶん経過し、8世紀に入り奈良時代が来ると、天皇を中心とする政権体制が整い、国家精力は、北はは東北地方から暖かい九州南端にまでおよび、都を中心に大陸文化の影響が強い天平文化がさかえた。

そして巫女さんが行っていたような宗教的な意義が薄れ、徐々に売春(当時、言葉は未だ無いが)というものが職業化していった時代でもあり、これが遊行女婦というのだそうです。遊行女婦の名の由来は、巫女さんが当時全国各地を、めぐっていたことにより各地でこの名が付く事になったそうです。