武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の第19代当主。武田氏の第16代当主。
「戦国時代の武将のほとんどが●●男子をそばにはべらせていました。武田信玄も(春日)源助という子供をかわいがっていたようです。そして源助という人物に浮気したことを謝っている手紙が残っているんですよ。」
弥七郎には何回もアタックしたけど「腹痛い」ばっかり言って全然相手にしてくれなかったんだよね。これはマジ信じて。絶対ウソじゃねえから。
【補足トリビア】
①信玄が浮気相手・弥七郎にも手を出したということで源助が怒ったため、本命に対して「お前が一番だよ」という言い訳の手紙を書いた。家臣の源助に対して敬語なのがラブレターであることの証明であり、歴史的にも非常に貴重な文献である。
信玄が寵愛する衆道相手の春日源介(「春日源介」の人物比定は不詳。)に対して、浮気の弁明を記す手紙や誓詞(天文15年(1546年))武田晴信誓詞、ともに東京大学史料編纂所所蔵)が現存しており、家臣との交友関係などを示す史料となっている。
「弥七郎」という男性と浮気したという 噂うわさ が立つ。本命の恋人だった「春日源助」に詰め寄られた信玄が釈明する手紙が残っている。
「誓詞之意趣者(このような内容で誓います)」で始まる手紙は誓約書のような形式を採っており、弥七郎という別の男との浮気を疑われた信玄が、その疑いを晴らすために必死になる様子が見て取れる。
【現代語訳】
〈一、弥七郎に度々言い寄ったが、虫気(腹の病)ということで相手にされていない。これは偽りではない。
一、弥七郎を伽(寝床)に寝させたことはない。以前にもそのようなことはない。まして、昼夜、弥七郎とそのようなことに及んではいないし、今夜もそうである。
一、別して、知人ということで色々走りまわれば、かえって疑いを受け、それは迷惑である。この条々、もし偽りであれば、当国一、二、三大明神、富士、白山、殊には八幡大菩薩、諏訪上下大明神より罰をこうむるべきである。(以下、略)〉
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