まとめトップ
雑学
昔懐かしの「トリビアの泉」を再検証!
FC2USER926778DHH さん
43 PV
お気に入りにボタン 詳細
当時の放送より
出典 summary-img-sv.fc2.com
童謡の研究家・『童謡の謎』の著者である、合田さんはこう語る。 Q. 「しゃぼん玉」は悲しい歌なんですか? 合田さん 「この歌は作詞した野口雨情(1882年~1945年)が亡くなった我が子を思って作った歌といわれています」
さらにこんな事実まで教えてくれた。
あるとき、子宝に恵まれなかった雨情に可愛い女の子が生まれた。
飛び上がるほど喜んでいた雨情だったが、なんとその子はたった1週間で亡くなってしまった。
悲しみにくれた雨情がその悲しい思いを書き留めたのが童謡「しゃぼん玉」なのである。
しゃぼん玉の中には儚さがあった。
【補足トリビア】 ①作詞した野口雨情のほかの作品には「赤い靴」「十五夜お月さん」「七つの子」などがある。 ②“しゃぼん玉”とは人間のことで、“屋根まで飛んだり” “飛ばずに消えたり”するように“人間の寿命はそれぞれ”という意味が込められている。 ③雨情は生まれてすぐに死んでしまった自分の子供を“飛ばずに消えた”しゃぼん玉に重ねた。
再検証しました
真偽は不明
娘を思って作詞した可能性はあるが、「娘の死とは直接的な関係はない」とする説も存在。
シャボン玉 (唱歌) -Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%9C%E3%83%B3%E7%8E%89_(%E5%94%B1%E6%AD%8C)
裏付けるような決定的事実は無く、説の段階を越えていないとも言われている。 他にも、時期的な観点から実子ではなく親類の子への鎮魂歌であるという説や、特定のモデルはなく子どもの死一般を悼んだものとする説、特に鎮魂の意は無いという説など、諸説存在する。
野口の長女が死んだのは「しゃぼん玉」発表の14年も前だという。また、野口の次女も●●して死んでいるが、それは「しゃぼん玉」発表後の出来事である。
出典 「しゃぼん玉」は娘の死を歌っているってウソ? 「赤い靴 ...
『シャボン玉』の詩が発表されたのは1922年(大正11年)。長女みどりの死からは10年以上が経過しており、四女恒子は存命していました。
出典 童謡「シャボン玉」は●●して亡くなった子の鎮魂歌?ちょっと ...
雨情の長女みどりは、1908年(明治41年)に生後8日で亡くなっています。また四女恒子(つねこ)も、1924年(大正13年)に満2歳で急逝しました。