1810年(文化7年)ごろ、端島(通称:軍艦島)で石炭を発見。
それから80年ほど経過した1890年(明治23年)、三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始されました。
端島炭鉱の石炭はとても良質で、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきました。
軍艦島ツアー比較サイト 軍艦島の魅力とは?
平成21年4月から一般の方が上陸してもよいということになり、現在では多くの人が軍艦島を訪れています。軍艦島にはどのような魅力があるのでしょうか?おすすめツアーについても紹介しましょう。
最盛期の昭和35年(1960)年には約5300人もの人が住み、当時の東京都区部の9倍もの人口密度に達し、島内には小中学校や病院など生活は全て島内で賄えるようになり、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろっていました。
端島炭坑の石炭はとても良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化を支えましたが、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより昭和49(1974)年に閉山、島は無人となりました。
小さな海底炭坑の島は、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ているところから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。
多くの人を惹きつけてやまない軍艦島。
その ” 廃墟の島 ” が現在でも人々の好奇心を掻き立てるのは、「島全体が繁栄当時のまま残っている」こと。
廃墟でありつつも、テレビを始めとする家電や生活の名残がそのまま放置され、昭和の生活を実感することが出来ます。
'軍艦島'のその魅力は、小さな島内に密集して立ち並ぶ、鉄筋コンクリートの高層アパートなどの廃墟群であり、その中に'何かがある?'と思わずにはいられない、冒険心をかきたてられるところにあるでしょう。昭和の時代にこの島に生きた人々のエネルギーを感じることができそうですね。病院の廃墟も有りますが、入るのはちょっと勇気がいるかも?今にも人の声がしそうな感じがする印象があります。
上陸できない基準は、以下のような感じです。
1. 風速が秒速5 メートルを超えるとき
2. 波高が0.5 メートルを超えるとき
3. 視程が500 メートル以下のとき
長崎市の規定で、波が高く危険な場合は、上陸できない場合があります。その場合は、上陸料(300円)が払い戻しになりますが、クルーズ代金は戻ってきませんので注意してください。
せっかく長崎まで来て、船にまで乗って近くに軍艦島があるのに上陸できない!!というのはとても残念ですが、安全性などのルール上、どうしようもないことですので潔くあきらめましょう。
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