涙腺崩壊!泣けるコピペ集

涙無しには読めないような泣けるコピペの紹介まとめです。

燃えPaPa さん

1181 PV

悲しくなるような泣けるコピペ

713 本当にあった怖い名無し [sage] 2013/06/26(水) 04:41:42.74 ID:0EaQirWxO Be:
金縛りになって、中味引きずり出されて連れてかれそうになったの。
でもね、私があんまりにも重かったのか、中味を引っ張る幽霊が必死だった。
焦ってた。
少し引きずり出されては重さで戻るを繰り返してたんだけどね、
上に向かって引っ張る感じでいたんだけどね、
幽霊腕がもげた。そんで逃げた。
びっくりした。
乙女心が傷ついた。

幽霊のもげた腕をご先祖にお供えして、何とかしてくださいと線香あげてみた。
やっぱり激しく乙女心が傷ついてる。
確かにデブだが腕がもげるとか!私どんだけ重いんだよ!?
さっきの出来事。なんか泣けてきた。

718 本当にあった怖い名無し [sage] 2013/06/26(水) 12:12:38.19 ID:D1ex5f0P0 Be:
>>713
自分みたいに太め女子が好きな人間もたくさんいるんだ、そう凹むな!
ってそんなん言われても何のフォローにもならんよな。すまん。

個人的には「自分は重い」という普段から持っている意識が
霊体にも影響を与えているのかなーって思った

720 本当にあった怖い名無し [sage] 2013/06/27(木) 16:57:32.39 ID:vEgZn9wwO Be:
渡辺直美が90越えたらモテ方が変わるって言ってたよ
つまりはそういう事ですよ

721 本当にあった怖い名無し [sage] 2013/06/27(木) 18:30:34.24 ID:/iQtubNfO Be:
あと60年以上ある…モテる前に死んじゃう…

722 本当にあった怖い名無し [sage] 2013/06/27(木) 19:00:24.28 ID:qaS2FWPhP Be:
>>721 ヲイw

教育番組「NHKおかあさんといっしょ」に流れる
「いちねんせいになったら」を幼児の頃歌った読者も多いと思う。
この歌の歌詞を思い出して欲しい。

   いちねんせいに なったら(中略)ともだちひゃくにん できるかな

そして続けて、
   ひゃくにんで たべたいな ふじさんのうえで おにぎりを…

良く考えて欲しい。友達が100人できると自分も入れて仲間は101人である。
しかし、富士山でおにぎりを食べられるのは100人だけである。
つまり1人を態々富士山の頂上まで登らせた上、
目の前で「友達」がおにぎりを旨そうに頬張るのを指を銜えて見せ付けられる
悲惨な仕打ちに遭うのである。

明るい曲調、学校に上がったら友達を作ろうという希望の歌に秘められた
陰惨なメッセージにより、幼児のうちに無意識のうちに虐めをを企てる萌芽を
植え付けられて育った人口は既に全国民の6割を超えている。
このような状態を放置してきた文部科学賞、通商産業省および当事者のNHKは
昨今のいじめ自殺問題にどう責任をとるつもりだろうか。

マクドナルドで

「スマイルください。テイクアウトで」

って言う罰ゲームを仲間内で一番のイケメンがすることになった。
イケメン「スマイルください。テイクアウトで」
マクドナルドのお姉さん「…えと…あの…あと30分で終わります////」

あの日、俺たちの顔からスマイルは消えた。

飲み会はぶられてたワロスwwww


無口・ネクラでバイトで嫌われる
   ↓
今日が飲み会の日
社交辞令で「来てほしいです」といわれる
   ↓
玉砕覚悟で思い切って行ってみる
   ↓
誰もいない
場所変わってた

上にコレクションについての話がありましたけど
私は夫のコレクションを捨ててしまって後悔した立場でした
鉄道模型でしたけど

かなり古い模型がまさに大量(線路も敷いてて一部屋使っていた)という感じでした
結婚2年目ぐらいから「こんなにあるんだから売り払ってよ」と夫に言い続けたのですが
毎回全然行動してくれずに言葉を濁す夫にキレてしまい
留守中に業者を呼んで引き取ってもらえるものは引き取ってもらいました

帰ってきた夫は「売り払ったお金は好きにしていい」「今まで迷惑かけててごめん」と謝ってくれました
残っていた模型も全部処分してくれたのですごく嬉しかったです

でもその後夫は蔵書をはじめ自分のもの全てを捨て始めてしまいました
会社で着るスーツとワイシャツや下着以外は服すらまともに持たなくなり
今では夫のものは全部含めても衣装ケース二つに納まるだけになってしまって

あまりにも行きすぎていて心配になり色々なものを買っていいと言うのですが
夫は服などの消耗品以外絶対に買わなくなってしまい
かえって私が苦しくなってしまいました

これだけ夫のものがないと夫がふらっといなくなってしまいそうですごく恐いのです
こういう場合ってどうしたらいいんでしょう

留年経験者から言わせて貰うと
だいたい心の準備は出来てるから通告された時の精神的ショックはそれほどデカくない
多少涙目になるぐらいだ
でもな、問題はそのあと両親に報告する時なんだよ
電話するだろ?「ゴメン留年した」って
電話では「…そう。残念だったわね。いつ帰ってくるの?」とか優しいんだぜ
まぁその優しさが心に痛いんだけどな
で、恐る恐る帰省すると、案外あっさり迎えてくれて、ほっとしてくつろいじゃったりなんかして
メシ食って、リビングでテレビなんか見ててさ、母親がぼそっと呟くんだ
「あなた何も言う事無いの?」って
「…ごめん、留年しました」「それだけ?これからお母さんたちにどうしてほしいの?なんで今まで連絡しなかったの?どうして留年したのか聞いて無いよ?」
あぐらかいてた俺は正座しなおして、何年かぶりに親の前でダラダラ涙流して謝ったね
もう二度とあんな事したくない

中学時代の昼休み
俺「…ポツーン」
女子数人「ジャンケンポン!キャー負けたー!」
ジャンケンで負けたらしき女子が近付いてくる
負けた女子「えー本当に言うのー?」
取り巻き「キャハハ早く言いなよー。せーの。」
負けた女子「友達になってくれませんか?」
俺「???」
負けた女子「もーヤダー!サイテー!」
取り巻き「キャハハ○○(俺の名前)君喜んでるよ。もっかいちゃんと言ってあげなよっ」
負けた女子「マジキモいんだけどー」
俺「・・・。」

ガラスといえば、昔購読していたJAFの月刊誌思い出したわ
JAF隊員が遭遇した信じられない救援とかのタイトルだったかな

ある連休中、高速のパーキングでインロックしてしまったから開けて~!
という主婦の依頼を受けた
ところがその日は渋滞が激しく、隊員が到着したのはおよそ一時間後のこと
ようやく依頼主の車に辿り着いたらその主婦が涙目で訴えている
「中に…赤ちゃんが閉じ込められているんです!
 この日差しの中、大丈夫かしら…お願い!すぐに助けて!」

隊員は慣れた手つきですぐに開錠し、赤ちゃんを救出した
多少汗をかいていたものの、大事にはいたらなかったようだ
隊員は一通りの処理を済ませたあと、その主婦に言った
「お母さん、いざというときは後ろの窓を割って下さい
 前や横と違って後ろのガラスは石なんかでも割れるんですよ?」

それを聞いた母親はこう返したそうだ
「え~?でもガラスって割ったら高いじゃないの~」

入学したての頃、俺は初めて学食に行ってみたんだ。もちろん一人でね。
慣れない食券システムにに戸惑いつつも、俺はウキウキした気分でハンバーグ定食を購入した。
定食を貰って、席に着こうとしたんだが、もうすでに満席。
一見空いているかに見える席も、DQNどもが荷物を置いて席取りしていた。
今考えたら混雑した昼時に学食に行ったのが、全ての間違いだったんだ…
俺は焦った。とりあえずどこか席が空くのを待ってみたが、一向に空かない。
明らかに食事を終えている奴らも、友人と会話をしていて席を立とうとしない。
俺はハンバーグ定食のお盆を持ったまま、その場に立ち尽くしてしまった。
どうしようもなくなって錯乱してしまった俺は、近くの調味料や飲み物が置いてある台に、持っていたハンバーグ定食を置き、その場で立ち食いを始めてしまったんだ。
俺のあまりに滑稽な姿に、周りの奴らが笑っているのに気づいた。
中には俺の姿を写メールで撮影し始めるDQNもいた。
俺は半泣きになりながらハンバーグ定食を急いで食べ終え、逃げるようにその場を去った。

あれ以来2度と学食へは行っていない…

俺の母さんは、生まれつき両腕が不自由だった。
なので料理は基本的に父が作っていた。

ただ、遠足などで弁当がいる時は、母さんが頑張って作ってくれていた。
でも、小学校6年の時の遠足で、見た目が悪い母さんの弁当を見られるのが嫌で、とうとう「弁当はコンビニで買っていくから、この弁当はいらない!!」と言ってしまった。
母さんはそんな馬鹿な俺に、ただ、うまく作れなくてごめんねとしか言わなかった。

時は過ぎ、小・中は給食だったのだが、高校になってからは給食はないのでいつも昼は購買のパンですませていた。
しかし、高校2年になったある日、母さんが弁当を作ると言い出した。
それは遠足の時に作ってくれたものとは、見た目も味も段違いに良くなっていた。
不自由な手で、一生懸命作ってくれたのだ。
と、思ったのもつかの間。 肺炎で入院したかと思うとぽっくり逝ってしまった。

弁当を作り始めてから3ヶ月しか経たない内に。
母さんが死んだ後、親父から聞いたのだが、どうやら母さんは俺の為に、定食屋をやっている知り合いの所に一年間料理を習いに行っていたらしい。

そして後日、その定食屋に行って見た。
定食屋の人と俺は直接、関わりは無いけれど、優しそうな人だった。
そして母がよく弁当に入れていたメニュー、ハンバーグ。それの定食を頼んだ。

そして、それを口にしたとたん、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。
たった3ヶ月しか食べられなかったけど、たしかに母さんのハンバーグの味にそっくりなのだ。

腕がまともに動かせないのに、頑張って作ってくれた、あのハンバーグの味。
形は少し不細工だったけど、とても美味しかった、あの、ハンバーグの味。

うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんて無かった
だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた
絵は上手じゃない
ただ、どうにかして形に残したかったらしい
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた
パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた
「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った

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