お酒のことわざ・格言・詩歌、酒と文学

古今東西、偉人から庶民まで幅広く愛されてきた酒。文化や生活との関係も深く、多彩な表現でその素晴らしさやリスク・弊害が語られています。酒は百薬の長、酒に十徳あり、醫などの健康や医学に関するものから、ワインはわが血、バッカスなど宗教や神様に関する言葉などのまとめ。

kabusake さん

815 PV

【5】個別の酒(のタイプ)への賛辞・言及

酒は純米、燗ならなおよし

上原浩氏。

新酒は、頭ばかり酔う。熟成酒は、からだ全体が潤うように気持ち
良く酔う

江戸時代の「訓蒙要言故事」

【6】お酒と恋愛

酒は恋を育てるミルクのようだ

アリスト・ファネス

【7】その他

聞こし召す[きこしめす]

本来の「飲む」「食う」の尊敬語から転じて、酒を飲むことを戯れていう。「だいぶ―・して真っ赤な顔をしている」※《動詞「聞く」の尊敬語「きこす」に動詞「見る」の尊敬語から転じた「めす」の複合したもの》

酒池肉林[しゅちにくりん]

酒や肉が豊富で豪奢な酒宴という意味の四字熟語。中国語では、発祥から現在まで「酒池肉林」は、はしたなく過度な奢侈的生活を過ごす(要するに贅沢三昧な生活をする)ことを意味している。また史記に書かれた内容に「裸の男女」とある事から、それと関連して「複数の異性との性的関係に溺れた生活」など、性的な意味合いを指す事も多い。司馬遷によって編纂された中国の歴史書『史記』「殷本紀」に記された一節が語源である。

酒が無くて何の己が桜かな

酒がなければ花見もつまらない。

主婦は常にコーヒーの風味に責任を持たねばならず、主人は酒類の吟味にぬかりがあってはならない。

『美味礼讃』ブリア・サヴァラン著のアフォリスムより。

茶には酒のような傲慢なところがない。コーヒーのような自覚もなければ、またココアのような気取った無邪気もない。

『茶の本』岡倉覚三

【参考】酒の神様、酒と宗教

バックス/バッカス (ローマ神話) ※ワインの神様

バックス(Bacchus)またはバッコスはローマ神話のワインの神である。ギリシア神話のディオニューソスに対応する。ディオニューソスの異名バッコスがラテン語化してバックスとなったもの。
日本ではしばしば英語読みのバッカスで言及される。イタリアでバックスの祭祀が始まったのは紀元前2世紀からである。イタリアでは、ローマ人の神リーベル(Liber)の崇拝と結びついた。ローマにおけるバックスの神話は、ギリシャ神話のディオニューソスの神話をローマの神名に置き換えたものである。

ディオニューソス(ギリシャ神話)※豊穣とブドウ酒と酩酊の神

ギリシア神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神である。この名は「若いゼウス」の意味(ゼウスまたはディオスは本来ギリシア語で「神」を意味する)。オリュンポス十二神の一柱に数えられることもある。日本語では長母音を省略してディオニュソス、デオニュソスとも呼ぶ。別名にバッコス(古希: Βάκχος, Bakkhos)があり、ローマ神話ではバックス(Bacchus)と呼ばれる。ゼウスとテーバイの王女セメレーの子。

パンはわが肉、ワインはわが血(キリスト)

【キリスト教の普及とともにヨーロッパへ】
「パンはわが肉、ワインはわが血」というキリストの言葉以来、ワインは宗教的な意味合いで、中世にキリスト教の普及とともにヨーロッパ各地に広まりました。葡萄づくりやワイン醸造を事業とした修道院や、王侯貴族たちの努力でワインの質が向上してゆきます。

【参考】酒造に関する言葉

酒はつくる人の心が移るもんじゃ。酒は、一度死んだ米をまた生き
返らせてつくるもの。

竹鶴敬次郎(竹鶴政孝の父)

きっと生酛はチーズで、山廃はヨーグルトなのだ

新政酒造ブログ「蔵元駄文」の記事より

【参考】北大路魯山人

ビール好きの僕、相変わらず毎日ビールを飲んでいますが、日本を離れていちばんうまかったのは、ニューヨークのロシア料理店で出された「チュボルク」というデンマークのビールでした。このビールはコクがあって、日本のどのビールよりもうまいのはもちろん、アメリカ、イギリス、ドイツ、チェコスロバキア、フランスのビールよりもうまい。

アメリカのシュリッツというビールも、日本のキリンよりうまい。
 アメリカに来ている日本のビールは、かん詰のアメリカビール程度にまずい。ここにおいて、ビールもまた新鮮を尊ぶことを知りました。アメリカで飲んだドイツビールは、評判ほど、うまくありませんでした。
 これは、長い道中、船に揺られ、汽車に揺られて来るせいで、この長い間に大事なものが抜けてしまうのではないかと思います。

「ビールは大壜(びん)より小壜の方がうまい」と始終いっていましたが、こちらに来て、いよいよ僕のこの考え方が正しいことを確認しました。日本を一歩踏み出すと、どこの国でも全部小壜ばかりです。日本も一日も早く小壜主義にならなければ嘘だと思います。

パリ着。フランスのビールはとりわけまずい。これはフランスに良水がないせいでしょう。チェコスロバキアのビールは、ちょいと中将湯(ちゅうじょうとう)のようなにおいと味とを持っています。ドイツのビールは、ここでも評判ほどうまくありません。この程度のものなら、なにもわざわざビールのためにドイツへ行くまでもないと目下、思案最中です。

ニューヨークのイタリア料理店マルキ。ここでのお酒とソーセージのうまかったこと。これは大書するに価します。

『アメリカの牛豚』

すしは酒の肴としてずいぶん用いられているが、どうもまぐろは酒の肴として好適ではない。これは飯のものである。

元来、東京の自慢であるたべものは、概して酒には適さない。すし、てんぷら、そば、うなぎ、おでん、いずれも酒の肴としては落第だ。おでんで飲む向きもあるが、これは他に適当な酒肴がない場合だ。

他人が愛飲する酒の如きは、人によって天の美禄でもあり、百薬の長ともなるが、好まざる者には無価値である。

『味を知るもの鮮し』

男なら酒のよしあしをやかましくいう酒呑みのように、ものの吟味を注意深くするようになれば、料理のよしあしが語れるわけである。

『味覚馬鹿』