彼らはいきなり「戦犯」という身分に位置づけられ、後日、彼ら自身の口から「鬼から人間に戻った」と言わしめる洗脳が始まった。
それは6年間の永きに及び、思想改造が完了したとされて大多数が帰国できたのは昭和31年であった。その後も一部は拘留され、最後の三人が釈放されたのは昭和39年。
実に19年も監禁、洗脳が続いていた
狂気じみている…なんでもかんでも『日本の軍国化』につなげてしまう松村高夫という学者
村松高夫が極端な自虐史観をあらゆる場所で発露していますが、戦後の某国による洗脳の効果ともいえるようです。怖・・・。
たかみょん さん
出典 撫順戦犯管理所
戦犯らはこの過程で、侵略戦争が中国人に与えた災禍を深く知り、強い悔恨の念を持つようになり、認識を転換し、懲罰を進んで受けるようになった。
日中友好の促進団体である中帰連は、ほかの平和団体とともに活動すると同時に、彼らにしかできない重要な活動も展開した。戦争の罪悪を自らの体験を通じて語ることである
昭和32年に釈放されて帰国した人達の一部が中帰連を創立して、反戦平和運動や日中友好運動を展開するようになります。
昭和57年頃から、中帰連による活動が目立つようになってきます。昭和57年と言えば、高校教科書誤報問題が起こった年であり、この頃から中帰連の活動が活発になったのは単なる偶然ではなく、日本を貶めようという勢力と連動していたと推測
松村高夫慶応大学名誉教授は、「今回の日本学術会議の決定は昨年の安保法(戦争法)強行から始まる軍事化の流れの中にある」と話し、その上で「研究者が自分の専門領域に閉じこもり、社会の状況に目を向けようとしなければ、思わぬ形で研究が利用されてしまう」と指摘
エドワード・ハンターは、日本人捕虜や朝鮮戦争でのアメリカ人捕虜に対する中国共産党の「思想改造」における洗脳手法について、「勉強会」での「学習」、集団学習会での自己批判、巧妙な賞罰(犯罪を告白したものを賞賛し、告白しないものには同調圧力を加える)、罪の意識(罪悪感)を植え付けるなどの特徴を指摘
日中友好4団体が在日本中国大使館で7日、盧溝橋事件(七七事変)77周年を記念する盛大で厳粛な式典を行った。「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」の合唱団はこの中で、組曲「再生の大地」を披露。
戦犯を「改造」するくだりにぞっとします。
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