フランク・リベリらフランス代表のサッカー選手を相手に売春していたとされるザヒア・ドゥハールさん(18)が29日発売の「パリ・マッチ」誌の表紙を飾り、インタビューに応じている。
インタビューと写真撮影は、事件が発覚した4月17日からわずか4日後、彼女が“避難”している南仏のコートダジュールで行なわれた。
サッカー選手だけでなく、多くの有名人や裕福な実業家を魅了してきたというだけあって、美人でスタイル抜群。髪は脱色して染めているのだろうか、鮮やかなブロンドだ。
インタビューでまずザヒアさんは、これまでの報道の誤りを指摘した。モロッコ出身ではなく、アルジェリア生まれで、2002年に彼女が10歳のときにフランスへやって来た。母親とその再婚相手、弟とパリ郊外に暮らしている。
彼女が、18人の売春婦が摘発されたパリ・シャンゼリゼ通りのバーで客をとっていたというのも誤報。摘発された中に彼女はおらず、同じ日に捜査官が直接自宅を訪れたという。
ザヒアさんは自分が「売春婦」であるとは意識していない。「16歳のときから、クラブやパーティーに出かけるようになった。そして男の人が私を気に入ってくれるのがわかり、“それなら活用しない手はないじゃない?”と思ってはじめたの。いまでは、自分は“エスコート・ガール”だと思っている。パーティーや旅行で男の人のお供をする。たんに性的な関係をもつためだけじゃなくね」と語る。
ただし“エスコート”と引き換えに金を受け取っていることは認めている。その額は一晩2000ユーロ(およそ25万円)。短時間の場合は500ユーロだという。それでも“売春婦”であることを否定するのは、「いつも男の人が払うと言ってくるの。私は道に立ったり、バーで客を待ったりしているわけじゃないわ。ただ流行りの場所に夜出かけて行くだけ。そうすると必然的にショービズやスポーツ界の人たちと出会うわよね。そこで彼らが求めてきて、私が応じるというわけ」。
「私は好きなことをしているだけ。お金をもらおうともらうまいと、望んだ人と性的関係をもつ。誰に強制されているわけでもないわ。いやなときには断るし」と、売春組織に属してバックにパトロンがいる、いわゆる「プロの売春婦」ではないと強調した。
彼女が警察にサッカー選手との関係を供述したのは、「何も意地悪をしようと思ったわけじゃないわ。最初から警察は(電話の盗聴で)すべて知っていたの。だから私は、彼らが知っていることだけを正直に話した」という。
「べつにスター選手の追っかけじゃない」という彼女が最初に会ったサッカー選手は、カリム・ベンゼマだった。2008年にクラブで出会った。そのとき彼女は16歳、ベンゼマは18歳だった。彼女が実際の年齢を打ち明けたことは一度もないという。ベンゼマとはその後「2、3回会った」というが、すべて「お金の関係だった」と明かしている。
リベリと最初に会ったのは2009年4月7日。彼の26歳の誕生日だった。ミュンヘンの高級ホテルに部屋をとり、そこで関係をもち、金を受け取った。「素敵な誕生日プレゼントじゃない?」といたずらっぽく話す彼女に、インタビュアーは、飛行機を予約したのはリベリ自身だったのかと踏み込んだ質問をする。もしリベリが予約したのであれば、彼女の年齢(当時17歳で未成年)を知っていたことになるからだ。これに対して彼女は、ふたりの仲をとりもった男性(勾留中)といっしょに行ったのでわからないと答えた。いずれにせよ、リベリにも年齢を打ち明けたことはないという。
その後もリベリとは2度会った。最後は昨年12月にパリで。「お金を払わせるのは気が引けたけど、でも彼は払ったわ」という。リベリ個人については、「とくに女性に優しいわけでも、育ちがよいわけでもなかった。すごく感じがいいというのでもなかったな。相手がスター選手であろうと何だろうと私には関係ない。ひとりのお客というだけよ」と振り返る。
ゴヴについては、「パーティーで会って前から知っていた。(今年)3月のはじめに、リヨンに来てほしいというから行ったの。彼と性的関係をもち、お金をもらった」と話す。
こうした仕事のことは、母親には内緒だった。彼女は2年間エステティシャンの資格をとる学校に通い、今年2月に卒業した。将来はエステサロンを経営するのが夢で、エスコートの仕事はその資金のためだという。あと2年間はこの“仕事”をつづけるつもりだったが、「いまはどうしていいかわからない。たぶんすっぱりとやめてしまうと思う」と語った。今後、起訴される可能性は残っている。