金正恩体制は、張成沢氏の粛清・処刑後、韓国に対し
「最高尊厳(金正恩氏)への挑発を繰り返すなら
容赦ない報復行動を予告なく行う」と緊張を高めている。

強硬姿勢は当面続くとみられ、韓国への
軍事挑発の懸念が高まってきた。
一方、国内は恐怖支配を強めようと
張成沢一派の粛清が続いているもようで、
金正恩氏の北朝鮮は密告、拷問、報復、収容所と
いった暗黒時代に突入したようだ。

このところ金正恩氏の表情が一変した。
金正日総書記の死去2年の追悼大会に現れた金正恩氏は、
鋭く険しい目つきで会場を睥睨(へいげい)していた。

張成沢氏が悲惨な末路をたどったのは間違いなさそうだ。
処刑の方法について判決文が
『死んでも祖国に埋まる場所はない』と書いたためで、
韓国紙は処刑にヘリコプターを打ち落とす
4連装対空機関銃 「ZPU-4」が使用されたらしいとし、
遺体は火炎放射器で炭にされたもようとした。
一部中国メディアは野犬による「犬刑」とした。

いずれにしても現代社会で想像を絶する残虐性で、
北朝鮮の異形が世界に広まり、一部にあった金正恩体制への
期待は吹っ飛んだ形だ。

張成沢氏は1997年から2000年まで
北朝鮮全土を震い上がらせた大粛清「深化組事件」の
総責任者だったからだ。

当時、大飢饉(ききん)で約300万人もの
住民が餓死し、全土は遺体であふれ住民の不満は
頂点に達した。

社会の不満と残党の一掃を一気にかたづける
ために行ったのが犠牲者2万5000人に
及んだぶこの大粛清だった。

金日成派と不満分子を一斉に処分した。
人民裁判、公開処刑、政治犯収容所、拷問、
その報復殺人など、恐怖政治は3年余り続いたという。

金正日の忠実な僕(しもべ)だった張成沢は自身の
政敵を粛清の手始めに名指しし、拷問で殺し、死体から
指を切って陳述書に母印を押させたとされる。

そして16年後、今度は自身が血祭りにあげられた。

金正日政権末期に実力者数人がナゾの死亡や失踪を遂げている。
この実力者たちは今回、
張成沢事件を主導した組織の最高幹部だった。
張成沢事件は、張氏に対する組織的な報復という
逆転劇だった可能性がある。

2010年6月、党組織指導部第1副部長の
李済剛の交通事故で死亡。
李氏は当時はポスト金正日の後見人の地位を
めぐり張氏と対立していた。

李氏は2004年の張成沢失脚を画策、
指示したとされ、長年の政敵だった人物。
このため交通事故死には張成沢関与説が絶えなかった。

翌2011年1月、柳京・国家安全保衛部副部長が
スパイ罪で銃殺された。
柳氏は2002年小泉純一郎訪朝の北朝鮮側交渉者
「ミスターX」だった。

銃殺は韓国情報機関が把握した。柳氏は2010年、
南北首脳会談の水面下交渉でソウル入り。
このとき柳氏は韓国側から張成沢と韓国の特別関係を
示す証拠を入手。これが原因で抹殺されたといわれる。

続いて2011年後半には国家安全保衛部第一副部長の
禹東測も張氏から職を追われ、その後自殺した。

朝鮮労働党組織指導部は北朝鮮の党、軍、政府の
人事権を持ち、粛清権も持つとされる権力機関。
秘密警察の国家安全保衛部は組織指導部の手足である。
張成沢氏と両機関は積年の対立関係にあった。

だが金正恩氏世襲で後見人となった張氏は、権力を
握った2010年から両機関の最高幹部失脚・
粛清に手をかけたとみられている。




4 :名無しさん@13周年:2013/12/23(月) 07:58:52.24 ID:QD1JcasWO
地上の楽園だから



7 :名無しさん@13周年:2013/12/23(月) 08:02:08.25 ID:1hQfp5xc0
朝鮮人らしいな。
ホロン部見てるか? 南北統一もうすぐだねw



9 :名無しさん@13周年:2013/12/23(月) 08:04:01.77 ID:7yi5RG6P0
いぬけいっ!


11 :名無しさん@13周年:2013/12/23(月) 08:05:17.79 ID:GfNDU2vb0
日本にある張一派の利権を
現在金正恩は回収中なんだろうな。