■『山上被告の怒りの矛先が教団ではなく安倍総理に向いたのはおかしいだろ』問題
・この問題はイジメに例えるとわかりやすい
・ある生徒が学校で深刻なイジメを受けたとする
・被害を訴えても、担任からもカウンセラーからも無視された
・しかも事態を監督すべき校長先生が、
加害生徒を最大限賞賛し、表彰までしてしまった
・この場合、被害生徒の恨みが校長先生に向いてしまうことは十分あり得る
・山上被告がやったことは当然正当化されるべきではないし、安倍総理は亡くなっちゃいけない人だったと思う
・ただ、もし山上被告には「(統一教会問題を)規制すべき政治家が、放置どころか加担した」と思えてしまったんだとしたら、そこに論理の飛躍はないと思う
■山上被告の同情を誘う報道がテロの肯定に繋がる?
・今回のような報道に対して『報道が犯人の思いを叶えることになる!』『テロの目的を達成することになる!』と主張する人がいるがそれは間違い
・今起きているのは『本来事件が起きる前に報道されるべきだったことが、事件後になってようやく報道されだした』という現象にすぎない
・我々メディアも、政治家も、行政も、なすべきことをなしていれば事件は起きなかった
・ではなぜ事件が起きたのか?それを検証する意味での報道はされるべき
・今回のような宗教問題に限らず様々な社会問題で理不尽な目に遭っている人にとって、それが「自分達の被害はきっと救済されて社会がよくなるんだ!」という希望に繋がるのではないか