2001年から日本ダービー(GⅠ)が外国産馬に開放されることにちなんで名付けられたクロフネ。3歳春に毎日杯(GⅢ)で重賞初制覇を果たすと、NHKマイルカップ(GⅠ)を制し、名前に込められた期待に応え、日本ダービーへと駒を進めた(結果は5着)。
秋の大目標を天皇賞(秋)(GⅠ)に定めるも、出走権を得ることが出来なかったクロフネ陣営は、ダート路線への挑戦へと舵を切る。向かった武蔵野S(GⅢ)では、2着に9馬身差をつける圧勝で、レコードタイムを樹立。続くジャパンカップダート(GⅠ)でも、一線級を相手に7馬身差のレコード勝ち。たった2戦でダート路線の頂点に立ち、その年(2001年)のJRA賞最優秀ダートホースに選出された。
翌年は海外遠征も計画されていたが、屈腱炎を発症し引退、種牡馬入り。白毛初のGⅠ馬ソダシや2011年のJRA賞最優秀短距離馬カレンチャン、JBCレディースクラシック(GⅠ)優勝のホワイトフーガなど、産駒も幅広い活躍を見せている。