5、エセ同和行為を容易にさせる背景
神奈川県内の事例をみると、交渉で『同和対策を抜本的に行う気がない』となかば強制された行政は、関係市町との具体的事業の打ち合わせもなく、関係市町も関係住民等に相談もなく、突然十カ所近くで同和地区の指定をした。一九八五(昭和六一)年前後のことである。あわせて地区指定の後『事業は行政が考えろ』と強要を受けたといわれる。ある町では事業用地の先行取得があって事業計画が模索された。“テニスコートだ!、いや武道館だ!、児童公園だ!”など次々に変更された。ある市でも、道路計画だったものが地元の合意を得られずに集会場に変更された。またある市では、数年後に事業計画そのものが白紙撤回された。本来、地区指定は住民合意と事業内容の確認が必要不可欠である。同和行政の実績づくりが不透明・非民主的、住民無視・団体いいなりの風潮をうみだした。“理屈は後でついてくる”方式であり、主体性の欠如である。
“差別がある”“同和関係者は貧しい”という昔の理屈を検証もなく受け入れていく姿勢にもエセ同和行為がつけ込む土壌がある。
差別があるから同和教育が必要だという考え
県内の地区関係の保護者は、「昔は学校に差別があった、時には教職者から排斥をうけることもあったし、貧乏で学校に行けなかった。しかし、いまでは問題がないのに、先生たちが夢中になって同和、同和というから困る」と嘆いている。高知県や関東の少なくない学校ではフィールドワークと称して同和地区の見学がある、地区の人は雨戸を閉め切ってしまう。これが同和教育の実態である。
また県内の学校では、同和教育といいなから同和問題にはいっさい触れない状況がある。しかし何故か教育行政関係者の中には『同和教育は必要だ』という不思議な現象がある。
「同和問題について自由な意見交換ができる環境がないことは、差別意識の解消の促進を妨げている決定的要因となっている。」と六一年意見具申でも指摘されているとおり、この課題の重要さはいくら強調しても強調し過ぎることはないであろう、と指摘している。さらに「トラブルの発生を恐れるあまり、一部民間運動団体に事前に内容の了承を得てからでなければ、啓発文書の公表や研修会等の講師の選定等ができないようなことが慣習化されている行政機関は、昭和六一年意見具申の精神に立って、この際それを改める必要がある。そうでなければ国民の信頼を得られる啓発を行うことはできないであろう。民間運動団体も、事前のチェックを慣行化させているとすれば、それは組織的圧力による言論の自由の抑圧であり憲法第二一条の精神にそわないものであるので、改められるべきであろう。」と指摘した。
無理な要求を求める「対応団体」は、その根拠を「厳しい差別」に求める。受ける行政側は、否定すれば『差別の実態をしらないからだ!』、『足を踏まれた者の痛みがわかるか!』、『徹底的に糾弾する!』となるから、運動団体=「解同」の言い分を鵜呑みにする、という問題点が「地対協」意見具申でも指摘されている。