私は祖父母の代から福岡の田舎で農家を営む家庭で生まれ育ちました。
関東の大学を出て東京で住宅設計関連の仕事に就き
しばらくして独立し地元に戻り結婚しました。

90年代に息子が中学生になったある日、
学校で自分の住んでいる地域が「部落」だと教えられたというのです。

私達は祖父母の代からここに住んでますが
「部落差別」を受けたことは一度もありません。

息子の話によると、その日突然授業が中止になり、
体育館に全校生徒が集められ校長の演説がはじまったそうです。

その内容は学校内で「エタ・非人」といった「差別用語」を発した学生を
吊るし上げ登校拒否に追い込んだ事を武勇伝のように語る内容でした。

その後その中学では林間学校が行われ山奥の施設でカーテンで閉め切り
「狭山事件」という部落出身の石川という男性が冤罪である事を主張する
紙芝居を作って発表させられたそうです。
(この事件が冤罪か否かはここではどうでもいいです。
興味のある方は狭山事件のWikipediaを参照することをお勧めします。)

息子は中学教師の恫喝のような「人権学習」に危機感を感じ素直に授業を
聞いているフリをしてやり過ごしたそうです。

中学教師の言い分では江戸時代から続く部落差別が現代に根付いており、
その差別を根絶するために戦っているといった内容でした。

親子3代に渡り彼らの唱える「部落地区」に住んでいた私達にとって驚きの理論でした。
私が地元を出ている間、父が田舎で農業をやっている間に故郷に何が起きたのか、
人権を主張し「部落差別」の存在を唱える彼らは何処から来たのか、
ネットがなかった当時この違和感を抱えたまま一人でモヤモヤしたのを覚えています。

建材屋の知人にその話をすると一時期そういった活動をする団体が企業に圧力を
かけていたそうです。

今でこそ、それが同和対策事業の煽りを受けた地方の利権団体や同和加配の所業
だという事が解るので怒りの矛先も向けられますが、当時は彼らが何者なのか、
駅前で人権のビラを撒いてる中学教師は正常な姿なのか、感覚がおかしくなりそうでした。

私が居なかった10年間の変貌に恐怖すら感じました。

そしてある日、私は学校に呼び出されます。

その理由はなんと息子が「部落差別は無い」といった「差別発言」を言っていたという内容でした。
私は内心バカバカしいと思いサングラスをかけたヤクザ風の教師の話を受け流していました。

教師も私と話がこじれるのを避ける為か半笑いで
「この子は人権意識に少し問題があるんですよ、注意しといてくださいね」と言われました。

息子はその後しばらく学校には行きませんでした。
幸い塾に通わせていたので高校に進学してくれましたが
その中学の塾に通えない家庭の子供はかなり学力が低く
学習施設としては劣悪な環境でした。
学校は学力より「人権意識」を優先していたのです。

これから福岡で子育てをしようとしている方、関東から福岡へお子さんと一緒に移り住むという方、かつて福岡の内陸にはこういった公立の学校が多数ありました。

現在はどうなっているか存じませんが、
くれぐれもよく調べてから転居することをお勧めします。