近代では、大空襲により大きな被害を受けながらも、新産業都市の指定を受け、鉄鋼業や石油化学工業などの工場が次々と進出し、また陸上・海上交通の発展により、東九州最大の経済・流通の拠点として確固たる地位を築いています。