小沢氏は会見で意見を求められると「私は大した能力がありませんので、玉木代表のもとで命じられたことを一生懸命やりたい」と殊勝に語った。この光景は、16年前の「民由合併」の時とそっくりに見えた。

2003年、党勢が低迷していた民主党の菅直人代表は、小沢氏が率いる自由党との合併を決断する。その時も党名は民主党のままで自由党を吸収する形だった。そして小沢氏は自ら「一兵卒」宣言し、無役として民主党に加わった。
ところが、いざ合併してみると、小沢氏の存在感は絶大で瞬く間に実権を握り、3年後の2006年には自ら代表に上り詰めた。