1972年(昭和47年)3月 - 11月:中央東線下り夜行列車の最盛期である。 定期普通列車425列車(419列車を改番)のほかに臨時の夜行普通列車は甲府駅・上諏訪駅・河口湖駅などへゴールデンウィーク中に3 - 5本、更に急行「アルプス」「たてしな」が定期2本・臨時7本程度設定された。
週末の夜に登山客が集中するため、臨時を含めて下り列車の設定が多く、上りは定期普通列車である426列車(418列車を改番)のほか急行「アルプス」が定期1本・臨時1本のみ。
1975年(昭和50年)3月:ダイヤ改正で425・426列車は電車化されて441M・442Mとなる。 425・426列車のみを受け持っていた飯田町客貨車区の廃止に国労が反発し「425列車を愛する会」という客車列車にある郷愁を残そうという登山愛好会と協同して反対運動も繰り広げた。
7月には「425列車を愛する会」などの運動に応える形で新宿駅 - 岡谷駅間に下り臨時客車列車を設定。以後1984年(昭和59年)9月までシーズン中に運転された。