連載小説 三国志 第18話

著作権フリー連載作品 

黄巾賊編

風雲急を告げる日中米
アジア大戦の近づいた今こそ
読むべき作品だと思います

燃え萌えモエ さん

2112 PV

三国志 桃園の巻 吉川英治

白馬は疎林《そりん》の細道を西北へ向ってまっしぐらに駆けて行った。
秋風に舞う木の葉は、鞍上の劉備《りゅうび》と芙蓉《ふよう》の影を、
征箭《そや》のようにかすめた。
 やがて曠《ひろ》い野に出た。

 野に出ても、二人の身をなお、箭《や》うなりがかすめた。
今度のは木の葉のそれではなく、鋭い鏃《やじり》をもった鉄弓の矢であった。

「オ。あれへ行くぞ」
「女をのせて――」
「では違うのか」
「いや、やはり劉備だ」
「どっちでもいい。逃がすな。女も逃がすな」
 賊兵の声々であった。
 疎林の陰を出たとたんに、黄巾賊の一隊は早くも見つけてしまったのである。
 獣群の声が、鬨《とき》をつくって、白馬の影を追いつめて来た。
 劉備は、振り向いて、
「しまった!」
 思わずつぶやいたので、彼と白馬の脚とを唯一の
頼みにしがみついていた芙蓉は、
「ああ、もう……」
 消え入るようにおののいた。

 万が一つも、助からぬものとは観念しながらも、劉備は励まして、
「大丈夫、大丈夫。ただ、振り落されないように、駒の鬣《たてがみ》と、
私の帯に、必死でつかまっておいでなさい」と、いって、鞭《むち》打った。
 芙蓉はもう返事もしない。ぐったりと鬣に顔をうつ伏せている。
その容貌《かんばせ》の白さはおののく白芙蓉《びゃくふよう》の花そのままだった。
「河まで行けば。県軍のいる河まで行けば! ……」
 劉備の打ちつづけていた生木《なまき》の鞭は、皮がはげて白木になっていた。
 低い土坡《どは》のうねりを躍り越えた。遠くに帯のように流れが見えてきた。
しめたと、劉備は勇気をもり返したが、河畔まで来てもそこには何物の影もなかった。
宵に屯《たむろ》していたという県軍も、賊の勢力に怖れをなしたか、
陣を払って何処かへ去ってしまったらしいのである。
「待てッ」
 驢《ろ》にのった精悍《せいかん》な影は、その時もう五騎六騎と、
彼の前後を包囲してきた。いうまでもなく黄巾賊の小方らである。
 驢を持たない徒歩の卒どもは、駒の足に続ききれないで、
途中であえいでしまったらしいが、李朱氾《りしゅはん》をはじめとして、
騎馬の小方たち七、八騎はたちまち追いついて、
「止れッ」
「射るぞ」と、どなった。
 鉄弓の弦をはなれた一矢は、白馬の環囲《かんい》に突きささった。

 喉に矢を立てた白馬は、棹立《さおだ》ちに躍り上がって、
一声《せい》いななくと、どうと横ざまに仆れた。芙蓉《ふよう》の身も、
劉備の体も、共に大地へほうり捨てられていた。
 そのまま芙蓉は身動きもしなかったが、劉備は起ち上がって、
「何かっ!」と、さけんだ。
彼は今日まで、自分にそんな大きな声量があろうとは知らなかった
。百獣も為に怯《ひる》み、曠野を野彦《のびこ》して渡るような大喝《だいかつ》が、
唇《くち》から無意識に出ていたのである。
 賊は、ぎょっとし、劉備の大きな眼の光におどろき、
驢は彼の大喝に、蹄《ひづめ》をすくめて止った。
 だが、それは一瞬、
「何を、青二才」
「手むかう気か」
 驢を跳びおりた賊は、鉄弓を捨てて大剣を抜くもあり、
槍を舞わして、劉備へいきなり突っかけてくるもあった。

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