【トリビアまとめ】福沢諭吉は夏になると全裸で暮らしていた

昔懐かしの「トリビアの泉」を再検証!

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当時の放送より

福沢諭吉といえば「学問のすゝめ」の著者であり、慶応義塾大学の創設者として知られ、一万円札の肖像でも有名な日本の偉人であるが、福沢諭吉に詳しい九州国際大学・元学長の横松さんはこう語る。

Q.福沢諭吉は夏になると全裸で暮らしていた?


「このことは福沢諭吉自身が書いた『福翁自傳(ふくおうじでん)』に書かれています。」

こちらが福沢諭吉自身が書いた「福翁自傳」である。

その中を見ると
「夏は眞實(しんじつ)の裸體(はだか)褌(ふんどし)も襦袢(じゅばん)もない眞裸體(まっぱだか)」と書いてある。

時は安政4年(1857)夏、大阪。
福沢諭吉は師匠である緒方洪庵が開いた適塾で住み込みながら勉学に励んでいた。

そんな夏のある夜、福沢諭吉が2階で寝ていると、1階から自分のことを呼ぶ女性の声が聞こえてきた。

「うるさい女中だ」と思ったが、呼ばれたのでそのまま真っ裸で1階に降り、「何の用だ」と怒鳴ろうとしたその時・・・

女中だと思った女性は、なんと福沢の師匠である緒方洪庵の奥さんであった。

福沢が困ってもじもじしていると、奥さんは何も言わず引っ込んでしまった。

福沢は翌朝お詫びしようと思ったが、謝るに謝れず、そのまま何事もなかったかのように勉学に励んだのであった。

【補足トリビア】
福沢諭吉が24~25歳ごろ大阪にある蘭学者・緒方洪庵の適塾に住み込んで勉強していたときのことで、当時諭吉は塾の2階で塾生40~50人と共同生活をしていたが、塾生部屋ではほかの塾生と一緒に真っ裸で過ごしていた。ただ、裸でいたのは2階の塾生部屋にいるときだけで、食事をするときや勉強するときなどは服を羽織っていた。

【高橋語録】
私は逆に、一枚着ているほうがぐっときます。

再検証しました

呼ばれて裸で出たら、緒方洪庵の奥さんだったという話。

塾は非常に開放的でした。 夏はみんな全裸でした。いわゆるスッポンポンでした。

ただ、みんなで集まる時、つまり飯を食う時と講義・集会時にはさすがに羽織る程度に着物を着ました。もちろん、下女たちがそばにいる時も、やむを得ず着ました。

大坂といえば夏は猛暑。耐えかねた諭吉は、塾舎の二階にある居室では、ふんどしも下着も何も着けず、「真裸体」で過ごしていたのだ。

適塾時代の諭吉達は夏場は全裸で過ごしていたようですが、おまけに現代はおろか、当時の感覚から見ても恐ろしく不潔な生活を送り、しかもそれを気にも留めませんでした。

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