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「このことは福沢諭吉自身が書いた『福翁自傳(ふくおうじでん)』に書かれています。」
時は安政4年(1857)夏、大阪。
福沢諭吉は師匠である緒方洪庵が開いた適塾で住み込みながら勉学に励んでいた。
【補足トリビア】
福沢諭吉が24~25歳ごろ大阪にある蘭学者・緒方洪庵の適塾に住み込んで勉強していたときのことで、当時諭吉は塾の2階で塾生40~50人と共同生活をしていたが、塾生部屋ではほかの塾生と一緒に真っ裸で過ごしていた。ただ、裸でいたのは2階の塾生部屋にいるときだけで、食事をするときや勉強するときなどは服を羽織っていた。
【高橋語録】
私は逆に、一枚着ているほうがぐっときます。
素っ裸で塾内をうろついていると緒方夫人とばったり会ってしまった。このときのことをのちに「緒方先生の奥様の前に裸で出てしまった時の恥ずかしさは40年経っても忘れられない」と回想している。
塾は非常に開放的でした。 夏はみんな全裸でした。いわゆるスッポンポンでした。
ただ、みんなで集まる時、つまり飯を食う時と講義・集会時にはさすがに羽織る程度に着物を着ました。もちろん、下女たちがそばにいる時も、やむを得ず着ました。
適塾時代の諭吉達は夏場は全裸で過ごしていたようですが、おまけに現代はおろか、当時の感覚から見ても恐ろしく不潔な生活を送り、しかもそれを気にも留めませんでした。
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