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「それは千家家元がまとめた『表千家』という書物にも見ることができます。」
【補足トリビア】
①千利休の本名は「田中与四郎」である。
②もともとは利休の祖父、田中千阿弥の「千」を取り「千与四郎」と呼ばれていた。その後、茶の湯の世界に入った「千与四郎」は、茶人・武野紹鷗のもとで修業を行った際、「宗易」という名前を得て「千宗易」となった。そして豊臣秀吉の正親町天皇への宮中献茶に奉仕した際に「利休」という名前が与えられた。
【高橋語録】
最近、本名を教えてくれない女性が多すぎます。
堺の魚問屋の息子だった。
幼名は田中与四郎(與四郎)、のち法名を宗易(そうえき)、抛筌斎(ほうせんさい)と号した。
本名は田中与四郎!千利休は堺の魚問屋の息子だった.
千利休は本名を田中与四郎といい、当時国際色豊かだった大阪・堺の魚問屋の息子として誕生しました。
利休の「千」という名字ですが、祖父である「千阿弥」の字に由来しているのだとか。
父親が田中与兵衛といい、堺で、中堅どころの問屋を営んでおり、有力な商人でつくる納屋十人衆に選ばれていました。利休も店を継ぎましたので、商人の会合などの文書に残っています。
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