発言すべてが嘘くせえ 山内康一の我欲まみれの"政治屋"ライフ

山内康一議員の議席への執念を見るにつけ、この人は政治屋なのだ思わずにはいられません

あしきょ さん

94 PV

▼山内康一議員とは?まず彼がかつてドヤ顔で発したこちらのセリフに注目

山内議員は「政治哲学とか、政治思想とか、勉強していない人ほど、あっさり方向転換する人が多いように感じる」とし「勉強不足の節操のない議員は誰か注視しておきましょう」と辛口で動向注視を語っている

「勉強不足の節操のない議員は誰か注視しておきましょう」
ハイ。

▼以下の華麗なる離党歴を見れば、上記のセリフが巨大なるブーメランとわかる

【2005年】まず『自民党』小泉チルドレンとして山内康一の議員人生が始まった

福岡県出身の山内は、平成17年の「郵政選挙」に神奈川9区から自民党公認で出馬し、初当選した元「小泉チルドレン」

【2009年】自民党の下野直前、逃げ込んだ先は『みんなの党』

自民党の「小泉チルドレン」をめぐる状況は一変した。

自民党を離党して立候補したのは4人。このうち、みんなの党から比例代表で出馬した山内康一氏(北関東)だけが当選した

山内康一は自民党時代に神奈川9区(川崎市多摩区麻生区)だったけど、2009年総選挙で選挙の一ヶ月前にこっちみんなの党に行った外道

【2014年】おっと『みんなの党』が危機だ!…からの、今度は『民主党』へ

自民党で議員になったくせして、民主党?
それは主義主張を大きく変えたってことか?
それとももともと自民党は当選するための道具だったのか?

浅尾代表や山内議員らが、党内の意見集約を経ずに民主党への擦り寄り、合流を画策。それを強引に進めようとして党内の猛反発を受け、党内が収拾がつかぬほどに紛糾

野党共闘か、与党連携かという路線対立をめぐる内紛劇が結党から5年で幕を閉じる引き金になった

「前にいたみんなの党はなくなりました。自民党の1強を防ぐことができるのは民主党しかありません」

民主党から出馬した際、有権者に必死で訴えていたセリフ。

【2016年】時流にのせられて『民主党』から『民進党』員へ。

民主党に維新の党が合流し、改革結集の会の一部、無所属の議員も参加して、民主党が改称する形で結成

旧みんなの党の比例代表選挙参議院議員5名は改選まで無所属でありながら党役員への就任や両院議員総会での議決権行使を許されて民進党所属国会議員に準ずる地位を有するものとされた

自身のブログで「経済政策はバラマキ、外交・安保政策はバラバラという悪しき民主党体質です」(22年3月28日)と、民主党批判を展開していた主張との整合性に関する説明はなかった

【2017年】『希望の党』に公認を求めるもはじかれ、今は『立憲民主党』に在籍中(いつまでもつか?)

「民進党元職の山内康一氏(44)は3日、同党の枝野幸男代表代行が立ち上げた新党「立憲民主党」で、福岡3区から立候補すると表明した。公認を求めていた希望の党から「選別」され、公認しない方針を伝えられていた。」

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