南部靖之の名言まとめ

パソナグループの代表・南部靖之(ナンブ ヤスユキ)の名言集めました。

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パソナグループ南部靖之代表

南部靖之

1952年兵庫県出身

人材派遣会社のパソナ創業者。
関西大学工学部卒業前に人材派遣会社テンポラリーセンターを設立して、
オイルショックの影響もあり急成長させた。
のちにパソナと社名変更する。

大阪大学大学院国際公共政策研究科客員教授でもある。

~南部靖之代表の名言たち~

我々は事業の基準が儲かるからやるとか、儲からないから止めるというのではありません。社会の課題を解決するというのが前提。

今の状況をよく見て、人の話をよく聞く。そうすることでこれから必要なものが見えてくる。その意味で、兆しは今にある。

働く者から見た豊かさは、お金以上に自分の夢の達成や自由な環境で仕事をすることにあります。

社会の問題点を考えて事業を始めて行くと、不思議と事業になって利益もついてくる。だから、社会の問題点を解決するという企業理念を最初に確立できたことは非常に大きかった。

私の唯一の判断軸は、昔も今も、利益ではなく創業精神に沿っているかどうかです。

よく人を見て処遇することも創業社長の仕事です。すべてを人事部長に任せようとするから、問題が起こるのです。

人が地方に行くことによって、その人が持つ夢も地方に行く。そしてその夢から新しい産業が生まれ、ビジネスも生まれる。だから地方創生は人を誘致するべき。

私は夢を語ることはできても経営者としては半人前です。ですが、それを補ってくれる社員が創業時からいた。これは大きかった。

地方で産業を興し、そこで売り上げをつくり、雇用も生む。そこに自治体も一緒になって、官民一体で地方創生を行っていくことが必要。

社会に問題があって、その問題に多くの人が気付いていた。僕はそれをつかみ、その問題解決を手伝ってきただけです。それが世の中の流れになっていった。

もっと人の力を信じ、活かす努力をしなければいけない。人はすごい力を持っている。それを活かせていないのは、経営者自身が「火事場の馬鹿力」を発揮したという経験をしていないからです。

私はいつも社員に風船の話をしています。能力を風船にたとえると、大きな能力、つまり大きな風船でも息の吹き込み方が少なければしぼみます。一方で小さな能力、つまり小さな風船でも息を吹き込んでいたら舞い上がっていく。だから、日々、一所懸命に息を吹き込むように毎日を暮らしなさいと言っているのです。そして、目の前に困っている人がいたら、その人のために相談に乗ってやってほしい、と。

私は事業を社会貢献事業、文化創造事業、社会福祉事業の3つに分けてそれぞれやってきましたが、いずれも「先義後利(せんぎこうり)」、つまり先に義によってすべきことをして、後から利益がついてくればよいという考え方です。それゆえ、事業によっていろいろな評価をされているようです。

新しいものは、利益を生むかどうか分かりません。そこに投資するのは株価や利益を見通せるからとは限りません。利益を判断基準として決断し、追い求めると、短期的なヒット商品は生まれても、ロングセラーにはならない。また利益目的の事業は儲からないとやめたくなりますが、大義名分のある事業は土日でも徹夜でもやりたいと思うものです。つまり事業を長く続けるためには、哲学や理念がないとダメなのです。創業者にはそれがある。

社会のニーズに応えるのが目的ではなく、働く側の立場で世の中の問題点を発見し、いかにそれを解決するかを考え続けました。「なぜ、子育てを終えた女性の働く場所がないのか」「なぜ、定年退職者の豊かな知識と経験を企業で活用できないのか」といったことです。正社員での採用があるなら、採用しやすい仕組みをつくればいい。そのひとつが人材派遣でした。

フリーターは統計を出すために総合的につられた名称です。時代をさかのぼると、プータロー、フーテンと呼ばれ、100年前には素浪人でした。坂本龍馬も脱藩した素浪人で、明治維新はフリーターが集まって大組織の徳川幕府を倒して成し遂げたのです。自由な立場の人が世の中を変えることは、歴史が物語っています。

すべての基本は「人」です。企業ならばいま、技術力や資金力だけでなくマーケティング戦略のような人的サービスも優れていないとモノは売れません。だから人材ニーズが多様化しています。人事部の役割は非常に重要です。今後は人事部の時代になると思います。

少子化で労働力が減るのは国家にとって困ることです。しかし、私は働く側の立場ですから、豊かさに対してワークライフバランスで考えます。「自分にとって大事なものを犠牲にしてまで、一生懸命働かなくてもいい」という考え方は、抵抗なく受け入れられます。いまは、大企業に入ったら使い捨ての人材で終わることを承知のうえで、自分を犠牲にして会社を守り、会社に尽くす時代ではないでしょう。

創業した当時、就職難の時代で、とくに大卒女子の就職率は16%でした。難関を突破して入社しても昇進で男性に大差をつけられ、さらに結婚して退職すると、もう一度働きたいと思っても再就職は不可能でした。そんな女性に雇用の場を提供することが、私の最初のビジネスでした。ターゲットを「子育てを終えた30代の女性」に絞り、雇用形態が正社員かパート、アルバイトしかなかった時代に、派遣という新しい雇用形態を企業に提案しました。

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