【俺は国だ】様々な「自称独立国(ミクロネーション)」をまとめてた【だが断る】

バ●●●よりも小さい「シーランド公国」からテロリスト国家「イスラム国(ISIL)」まで、様々な自称独立国家(ミクロネーション)をご紹介!(※随時更新)

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ミクロネーション国家とは

ミクロネーション国家とは、「どこの国からも認められていない」「外交関係を持っていない」国家の事である。

趣味や冗談、地域振興の一環として行っているものがある一方、新大陸の原住民などまじめに独立を主張している国家もある。いわゆるミニ国家とは違い外交関係をもたない (もてない) 国がほとんどで、国際機関でも発言権を持っていない。

ミクロネーションの定義は以下の通り

●ミクロネーションは、独立宣言によって生まれるれっきとした国家でありますが、独立した理由が国連加盟国や他の独立主張国家比べて、「小規模でかつ私的である」としております。

(略)

●支配地域(国民や政府が常時立ち入ることができ、その場所に政府機関を設置し、自由に建設、開発を行うことが出来る場所。
仮想空間なら、世界中の殆どの人間が自身の持つ電子機器を使い、その媒体へ訪問する事が出来る場所。)

●独立活動(独立意思が存在し、定期的に独立の為の国家活動を行っている若くは行う事が出来る国)
●住民(1人以上の国民が居る国)

一部の国では自前の通貨を所持したりしており、国っぽいことが出来ているところもある。

最も有名な自称独立国家「シーランド公国」

日本で一番有名なミクロネーション国家といえば「シーランド公国」でしょう。

「ヘタリア」という国家擬人化漫画で登場したことで、知名度が急上昇しました。

領土は下の画像全て(面積207㎡)です。

イギリス南東部から10㎞沖に建造された第2次世界大戦時の海上要塞(トーチカ)を領土としてしたいしたのは「パディ・ロイ・ベーツ」前国王。

のちにシーランド公国となるこのトーチカがイギリス領海外だったのに目をつけて占領、独立しました。

シーランド公国は硬貨を発行している(使い道はない)
この通貨は「クーデターにより亡命(!?)」したアッヘンバッハ率いるシーランド公国亡命政府が発行している。

デザインはしっかりしている。お土産にどうぞ。
レートはアメリカドルと同じ

「え!?亡命政府があるの?」

シーランド公国は1978年に首相に任命した西ドイツの「アレクサンダー・アッヘンバッハ」によるクーデターが発生。
一時は国王が国を追われることになりましたが、国王がかつて仲間である傭兵20名以上を集め再度奪還。

クーデターの首謀者であるアッヘンバッハはシーランド公国にとらえられますが、西ドイツの外交官の努力により解放。

西ドイツに戻ったアッヘンバッハは「シーランド公国亡命政府」を作りました。

このシーランド公国はウェブサイトも作成しております。

シーランド公国の主な収入源は「爵位」「切手」「コイン」など。

爵位は最も低いもので「男爵」「卿」が29.99ポンド(約4,300円)。
最も高い「公爵」が499.99ポンド(約55,000円)。


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さっさと消えろ「イスラム国(ISIL)」

「国家」と名乗っているが実態はただのテロリスト

ISIL(アイシル、英: Islamic State in Iraq and the Levant〈イラク・レバントのイスラム国[18]〉)、IS (アイエス)、ISIS (アイシス、ダーイシュはイラクとシリアにまたがる地域で活動するイスラーム過激派組織である。イスラム国(英: Islamic State)と自称している。

冒頭で述べたミクロネーション国家の定義でいえば、一応この組織も入るのではないでしょうか?

イスラム国の首都はシリアにあるラッカという都市だが、2017年10月にISILから奪還済。

全盛期にはシリアの殆どを支配していたが、2018年現在ではシリアの5%以下に。

なお、現在では「イスラム国」という名称は使わないのが一般的。
これはテロ組織であるISILを「イスラム国」と呼ぶことは「イスラム教およびイスラム教徒に対する侮辱である」
とアル=アズハル大学のイスラム法学者団体が述べたから。

※アル=アズハル大学・・・イスラム教スンナ派の最高教育機関

土地を奪われるくらいなら独立する!「ハット・リバー公国」

ハット・リバー公国(Principality of Hutt River)は、レオナード・ジョージ・ケースリー(Leonard George Casley)が独立国と主張する、オーストラリア大陸西部の広大な小麦畑を中心とした地域である。

このミクロネーションの公認レオナルドキャッスルリーは、元の弁護士でした。弁護士生活を終えたキャッスルリーは、西オーストラリア側で小麦農場をしていました。1970年にオーストラリア政府が小麦生産量の規制令を下し、小麦農場を運営していキャッスルリーは、この規制領ので深刻な資金難に苦しめられるようになり、最終的には破産寸前まで行きます。

弁護士であり、法に詳しいキャッスルリーは、オーストラリア政府の対応に見かねて独立宣言を実施し、法的対応に乗り出しました。

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