「総透明化社会」佐々木俊尚氏、コンビニ冷蔵庫問題についてTwitter上で議論:前編
後編:http://summary.fc2.com/summary.php?summary_cd=50088
njip.fib さん
冷蔵庫に入っただけなら社会との関係性は低かったが、公に発信する事で社会との関係性に大きな影響を与えた。その時点で単なる悪ふざけでなくなってしまった。
それを認知できないのは低学歴や反道徳的だからではなく、メディアリテラシーの問題。
反道徳なのではなく、メディアリテラシーが低くて自分のバカげた行為をSNSで拡散してしまっただけ。つまり批判されるべきは「反道徳」ではなく「低メディアリテラシー」ということですよ。低メディアリテラシーは、仕事を棒に振るほどの悪行なのか?という問題。
悪人の世界が自分とは違うどこか別のところにある、と考えている人ばかりじゃなく、「自分も同じような事をすれば同じように社会から排除されるということは分かっている。だからこそ分かっていないであろう者に対する嘲笑に興じることができる」という優越なのでは。
悪人の世界が自分とは違うどこか別のところにある、と考えている人ばかりじゃなく、「自分も同じような事をすれば同じように社会から排除されるということは分かっている。だからこそ分かっていないであろう者に対する嘲笑に興じることができる」という優越なのでは。
他者に苛烈な道徳を求める人がたいへん多い事実にけっこう痺れる……。
ばれなければ良い、と?反道徳かつ、メディアリテラシーの欠如では?
ばれなければよいとは思いませんが、ばれないことによる「ワンクッション」みたいなものが社会を円滑化しているのですよ。互いに苛烈な道徳を求め合う社会に未来はない。
え?反道徳であることは確かなんじゃないですか?それを許すか許さないかは別として。
ひとりの人間の行為は時に道徳的でもあり、反道徳的でもあり、白黒はつけられないと思いますよ。バイト君が他の面ではすこぶる道徳的な人だった可能性もある。
まあこういう問題が起きるたびに毎回毎回思い出すのは、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」(イエス様)。
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「本来われわれは絶対者ではない」と指摘された点ですよね。ただ、「神の視点」に立って対象者を断罪する、「マイノリティ憑依」ならぬ、「マイノリティ糾弾」が増えているような気がします。どちらも、絶対的な高見に立つ「他人事」視点は共通のような・・・。
私も学生で、他のアカウントを持っていますが、ばれたら怖いことは違うアカウントで書く、などやっています。佐々木さんが仰りたいのは、たった一つの行為でその人の未来をみんなで閉ざそうとすることをやるのは、よろしくないということですよね?私もそう思います。
なんか注意と制裁がごっちゃになっているような気がしますね。厳しい注意は必要ですが、社会的な制裁を加えるほどではない、そういう判断もあっていいと思います。社会が人を育てる、そんな視点も必要ですよね。
ちょっと論点ズレかもですが、立川談志の「酒が人間をダメにするのではない。人間は元々デタラメだという事を酒は教えてくれるんだ」という発言を猛烈に思い出しました。
突然失礼します。今話されている議題についてのツイートを拝見して思ったのですが、自分達はどのぐらい寛容になれば良いのでしょうか? 優しすぎるとツイッターをみて模倣する人が今より増えてしまう可能性があるとおもうのですが。
社会から規範が消滅していく中で、善悪の基準や罪と罰の基準がゆらぎ、それが「過剰な責任追及」「過剰な上から目線」という過剰さになって現れているというシステム移行期独特の現象かもしれません。
樋口氏:
それ言い出したら、殆どの犯罪は容認されるよ。「他人を殴って植物人間にして何が悪いの、殺してないじゃん」「20才でシンナーやって何が悪いの、30で大麻やってる人いるじゃん」
佐々木さん@sasakitoshinao の『当事者の時代』読了時に書いたブログ→「一瞬の『すかっとさわやか』はあっても、そこから問題を本当に解決しようとしていないのであれば、事件をダシに消費しているだけで、他人事であり、無責任」
他者を誹謗中傷するのは、ある種の人にとっては、勧善懲悪のドラマの主人公に憑依できているようで、気持ちよいだろう。だが、その一瞬の「すかっとさわやか」はあっても、そこから問題を本当に解決しようとしていないのであれば、事件をダシに消費しているだけで、他人事であり、無責任であり、そういう事件を消費して楽しむスタイルだって、言語道断、とは言えないだろうか。
また気になるのは、こういう罪と罰の非対称性は、何処から生まれるのか、ですね。これが暴走すると逆に社会が崩壊しかねないのに、何故多くの人々がそれを容認するのか。
もっと論点がズレますが、レオナルド熊さんの「20歳になった契機にタバコを辞めるなんてエライ!世の中には20歳を過ぎてタバコが身体に悪いと充分理解出来る年齢になってもやめれない人間がいるのに…」というコントを思い出しました。
『罪を犯していないことを証明するために』石を投げる人がでてきそう。(今もそんなものかも)