1810年(文化7年)ごろ、端島(通称:軍艦島)で石炭を発見。
それから80年ほど経過した1890年(明治23年)、三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始されました。
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石炭出炭量の増加に比例するように島は急成長を遂げ、1960年(昭和35年)には5,267人が住んでいました。
当時の人口密度はなんと世界一。東京人口密度の9倍以上とも言われるほどでした。
端島(軍艦島)平面配置図
'軍艦島'のその魅力は、小さな島内に密集して立ち並ぶ、鉄筋コンクリートの高層アパートなどの廃墟群であり、その中に'何かがある?'と思わずにはいられない、冒険心をかきたてられるところにあるでしょう。
昭和の時代にこの島に生きた人々のエネルギーを感じることができそうですね。病院の廃墟も有りますが、入るのはちょっと勇気がいるかも?今にも人の声がしそうな感じがする印象があります。
2015年7月には「明治日本の産業革命遺産」として軍艦島は世界遺産に指定されました☆
現在は、無人島となっており、炭鉱で栄えた街の名残を現代の人に伝えています!
多くの高層アパートが密集していることがわかります。写真中央に見えるのは「端島神社(はしまじんじゃ)」です♪まさに空中神殿という言葉がふさわしい!
軍艦島クルーズは、軍艦島の隣にある高島に本社があります。そのため、軍艦島だけでなく高島や炭鉱の歴史についても詳しいツアー会社です。
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